代表:山田喜久男

portrait-yamada株式会社テクノスイス 代表取締役社長

時計修理技能検定1級
C.M.W.(公認上級時計師)

数々のスイス名門ブランドでメンテナンスに携わってきた熟練時計技術者であり、(株)テクノスイスの創設者。

16歳で時計職人としてのキャリアをスタートさせ、スウォッチで23年間、ワールド通商で11年間にわたり時計師としての技術を磨く。スイスで積み上げた技術的なキャリアにより、トゥールビヨンやパーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーターなどの超絶な複雑時計のコンプリケーションも修理可能とする。スイスにおいても腕前を絶賛されている時計修理のスペシャリスト。その業績は、テレビ、雑誌などメディアでも多数取り上げられている。

メディア掲載・出演履歴

  • 2016.06.13 NHK  ニュース9
  • 2015.05.08 テレビ東京『和風総本家』
  • 2014.08.29 WATCHNAVI Autumn
  • 2014.08.08 Men’s EX 9月号
  • 2014.07.30 Free&Easy 9月号
  • 2014.06.13 世界の腕時計 No.120
  • 2014.03.10 時計Begin 2014SPRING
  • 2011.09.01 世界の腕時計
  • 2011.10.11 おとこの腕時計 「匠のいる場所」
  • 2011.12.09 モノ・マガジン2.16 「職人モノ大特集」

詳細経歴

1946年  佐賀県に生まれる。
1962年 博多の時計店から時計修理人生が始まる。
1968年 単身東京に上京し時計店で修業を積む。この時期に、当時8万円のブライトリングを購入して研究材料に使い、時計旋盤を手に入れて天芯・巻芯作りを学ぶ。
1969年 日本デスコに入社。ジャガールクルト、ホイヤー(現タグホイヤー)、オーデマピゲを手がける。当時1億円と言われたオーデマピゲのグランドコンプリケーション懐中時計を手がけた事がきっかけとなり、複雑時計の道に入る。
1973年 CMW(サーティファイド・マイスター・ウォッチメーカー高級時計師)の資格を取得。試験は難解にして多岐にわたり、職人なら誰もが羨望の眼差しを向ける資格と言われる。
1974年 ロンジン・ジャパン入社(現スウォッチグループ・ジャパン)。スイスのロンジン本社に一年間赴任し、本場の時計制作やスイス人のアイデンティティを学ぶ。この頃から、独自の勉強としてアンティーク時計の造詣を深める。
1993年 SMHジャパン(現スウォッチグループ・ジャパン)がブランパン総代理権を獲得後、ブランパン専任技術者となる。スイス本国での技術研修を重ね、新たな技術の獲得とスイス人との親交を深める。ブランパンを去る時には当時の社長から「それぞれの複雑機構の修理が出来る人間はスイスにいる。だが、全ての機構を直せるのは世界でお前だけだ。」と、その腕前を絶賛される。
1998年 ワールド通商に入社。フランク・ミュラー、ランゲ・アンド・ゾーネ、クロノスイス、ピエールクンツ、ベル・アンド・ロス、バルカン等を手がける。
スイス本国で技術研修を重ね、更なる技術を極める。複雑時計と言われるパーペチュアルカレンダー、トゥールビョン、ミニッツリピーター等の本来スイス修理となる時計が日本で直せるのは山田の技術があっての事である。バルカンにおいては、製品開発まで携わる。
2009年 株式会社テクノスイス設立。今まで培ってきた技術をもって、高級スイス時計を修理する工房を銀座に立ち上げる。また、その技術を後世に継承していくため、後続の技術者の育成にも力を注いでいる。