Vol.6 どこまで仕上げをするのか、と

前回に続いてケース仕上げについてお話します。仕上げを本格的に始めたのは、おそらく20年前ぐらいと思いますが、私がケースをきれいにするようになったのは、お客様からの要望からだったと思います。それまではケースの中の機械をきれいに、不具合のある機械を直すことが私達修理技術者の仕事だと思ってやっていましたが、お客様からケースがきれいになっていないが本当にちゃんと修理したのかと言われたことがありました。

そのことがあった後、まずガラスを磨きました。ガラスと言っても現在のミネラルガラス、サファイアガラスではなくプラスチックの風防がほとんどでした。プラスチックですからキズが付きやすいので修理後に磨くと見違えるようにきれいになり、文字板がきれいに見えるようになるので、お客様から喜ばれました。風防ガラスを磨いてきれいにするとケースの曇りが気になってきます。セルベットに青粉または赤粉を付けてケースを磨いたものです。

私はやったことはなかったのですが、先輩技術者は機械の汚れまた光沢を出すため洗いバケに赤粉を付けて磨いているのを見たことがあります。だから当時、時計の修理をすることをミガキと呼びました。そのころの町の小売店ではバフは無かったのです。中の機械の洗浄機も無くベンジンで洗い、バケで手洗いでした。それが今から約40年前です。

23歳の時、スイス時計の輸入会社に入社して初めてバフでケースを磨くことを覚えました。磨くといっても、今のような仕上げだけではなく変色を取る程度、そういう時代を知っているため現在の仕上げのやりすぎに疑問を持ちます。時代の違いか、それとも販売店または技術者の満足のためかも、私の穿った見方でしょうか。今の若い技術者の修理品の見方は良いか悪いか、有るか無いか、白か黒かしかできないように感じます。これくらいでいいんじゃないと、中間的な見方ができないように私には見えますが、皆さん、どうですか。

具体的な話をします。23歳からスイス時計の輸入会社に約40年間関わってきたので、輸入会社の話をしましょう。前回からのテーマになっているケース仕上げについてですが、20年くらい前からあるブランドが始めてから、オーバーホールをしたら少しずつケース仕上げもするようになってきました。最初はケース仕上げは別料金だったと思いますが、今は修理料金の中に込みのとこが殆んどのようです。修理時計がきた場合、使用された時計の仕上げをするのですが、私の時代の時は大変悩みました、どこまで仕上げをするのか、と。

技術者が少ない時は話し合いで決定できたのですが、技術者が多くなればそうもいきません。また、現在は受け付ける技術者と出来上がった後のチェックをする技術者が違った場合、非常に難しいことになります。仕上げ後のチェックをする人は最初のキズの程度を見ていないから、キズが残っていたら残ったキズを見るため、もう少し取れるのではと思ってしまいます。預かった時計を見ている技術者はよくきれいになったと思っても、最後のチェックの技術者はもう少し取ってとなります。だから技術者の見方で変わることがあるわけです。最終チェックの技術者が変わるたびに仕上げの程度が変わるということになります。それでは会社としては良くないわけです。ですから、どうしてももう少しきれいに、となっていくわけです。もう最初のキズの程度は関係が無くなってくるのです。

先にお話しましたが、現在の若い技術者は白・黒、有る・無しで区別をつけたがる人にとっては、この方が良いのでしょう。何も考えずにキズが有るか無いかで検査すれば良いので楽だと思います。そのほうがストレスもたまりませんからね。ただ私は言いたい。きれいになっているけど、どれだけ削ってどれだけ軽くなったかと心配するのは私だけでしょうか。