Vol.12 若い技術者の皆さんに期待しています

CMWの試験にやっと合格しました。でも今考えると合格したから良かったのではなく、自分で試験を受けようと決めて、それに挑戦したことで今の私があると思います。挑戦を決めた後は天芯作り、替芯作りのほか、通常の修理の時も常に試験のつもりで仕事をしました。止めピン1本、止めネジ1本合わせるのにも試験だったらと思いながら同じものを合わせ、合うものがないときは同じものを作る、そういう思いで今まで修理の仕事をしてきました。
旋盤の仕事を覚えると色々なことができるので次から次へとアイデアが浮かんできます。楽しいですよ。この楽しさを修理技術者の皆さんに学んで欲しいと思います。そうすることで仕事の内容がまったく違ってきます。輸入会社にいる人はあまり関係ないかも分かりませんが、部品も手に入るでしょうが、でも修理会社の技術者の方、自分ひとりでやっている技術者の方には、ぜひ必要なことと思います。

ところが今、私の見るところ、残念ながらそのようにはなっていません。現に私の工房にはある有名ブランドとか、修理を正業とする修理技術会社から部品作りの依頼があります。本来は自分の会社の中で取り組むべきだと思いますが、修理会社といいながら部品作りができなくなっていることが分かります。これは前回にお話したことですが、部品の入手が手軽になり作るという作業をしなくてもよくなったのです。ですがそのために弊害も起こっています。つまり部品が手に入らなかったら直らないと思ってしまう技術者がいるということです。作ってでも直すということを忘れてしまった技術者が多いのです。時計販売店の皆様、これで大丈夫でしょうか。今までの連載文面を読み返してみましたら、やたらと心配ばかりしている文章が多くて自分でもびっくりしています。

最初にお話しましたが、この仕事を始めて50年です。スイス時計に関係して43年目になります。技術者の後輩たちにはすごい経験ですねとよくいわれますが、そうかもわかりません。日本デスコではオーデマピゲ、このブランドでは超複雑時計の修理ができました。今あるのはこの時計のおかげと思っています。その次はジャガールクルトで、このブランドはメモボックスという目覚時計の専任技術者として2年間修理しました。日本デスコに入社して3年目でCMWに挑戦しました。これも穴井さんというCMWの先輩がいてくれたおかげで受験できたと思っています。

その2年後、ロンジンジャパンに移りましたが、いきさつは、前年のCMW受験で一緒になり、ロンジンジャパンの技術部長になった成沢さんという人に誘われたことがきっかけでした。次に行く会社を探していたら、デスコを辞めるのであれば、出来たばかりの新しい会社だが来ないかと誘いを受けました。違う会社に行く予定を変更してロンジンジャパンに入社しました。入社5年目でスイスに、日本へ送り出す前の最終検査要員として行くことができました。1年家族4人で滞在し、色々なスイスの生活を楽しみました。仕事では一人で来ているので誰にも聞けず自分一人で決定しなければならず、これが一番のプレシャーをかんじました。ただこれも1カ月ぐらいしたら慣れ、生活面では多少言葉の問題もありましたが、今考えると素晴らしい1年間のスイス滞在だったと思います。

この1年間の経験がその後のスイス人とのコミュニケーションに非常に役に立ちました。その後、ブランパンでは4年連続でトレーニングに行くことができました。その間、スイスの技術者とも素晴しい友達になれました。その後も、フランクミュラー、ドイツのランゲ&ゾーネ、クロノスイスなどで行くことができ、私の財産です。

時計修理業界にいるすべての技術者の皆さん、ちょっとでも可能性があったらトライしてください。若いうちです。若い技術者の皆さんに期待しています。今回でこのコラムを終わりますが、私が何か役に立つことがあったら、何なりと聞いてください。若い技術者の問題提起を待っています。 (終わり)